貝の隅っこ

話を聞く副業をしています。 初回無料、2回目以降3000円~。詳細は最初の記事にて。

乳がん忘備録【39】

婦人科検診も無事に終わって、ようやく人心地ついた。

診察のときに、問診があったので、乳がんの手術をしたばかりだと告げると、先生は驚いて、それは大変だね、という旨のことを言ったけど、でも、自分としては、大変なことは、もう終わったので、そんなに気を遣わなくてもいいと思った。

 

仕事納めの日になると、会社の後輩の子から連絡が来た。

まずは退院のお祝いと、それから年末年始の挨拶と、不在中の仕事は大丈夫だったということ、年始の仕事も終わらせたので、安心してほしいという内容だったので、気遣いのすごさに、ひたすら心の中で、土下座した。入って半年で、いきなり先輩がガンになって、さらに新人の面倒を見て、現場の責任者みたいなことになって、でも本人は、不満そうな顔を私にひとつも見せないので、来年はその分私も報いることができるように、がんばろうと思った。

 

そんなこんなで、世の中は、新年へのカウントダウンを告げていて、年末の掃除とか、お正月の準備とかをテレビを見ながらやったりした。たまたまついていた情報番組で、2019年の運勢星座ランキングを発表していたので、それを見ていたら、私の星座は2019年の1位だったので、嬉しかった。占いは、私のガンを、その前兆ですら、全然教えてくれなかったけど、せっかくいい結果だったので、2019年は信じようと思ったし、やっぱり、2019年はご褒美のように、明るい未来が待っていると思った。

 

年末は、毎年恒例の、近所の出前の年越しそばを食べて、応援しているグループのたくさん出ている年末のテレビを見て、退院してすぐ買ったゲームをやって、のんびりまったり過ごした。

乳がん忘備録【38】

手術後の初めての外来のために、病院へ行った。

先生は相変わらず爽やかで、調子はどうですか、と聞かれたので、実は手術後からずっと、右手が痺れているのが気になったので、そのことを言った。

先生は頭を傾げて、時間が経てば治るだろうと言ってくれたけれど、利き手が痺れているというのは、やっぱり少し、不安なもので、ずっとこのままだったらどうしようと思った。

 

それ以外はとくに、何か話が進展するわけでもなく、リンパ節をさらにじっくり調べても、転移はなかったということなので、よかったと思った。

次の外来は年明けで、そのときに病理結果が出るから、そうしたら今後の治療方針を決めましょうと言われた。

治療方針、には色々あって、ホルモンだとか、放射線だとか、よく知らないけれど、中には妊娠とか、そういう将来に関わるものもあるようだったので、まあ放射線やれば大丈夫なんじゃないかな、という空気感に、そうだといいなと思った。

相変わらず、あまり病気に関する情報は、仕入れていなかったので、詳しいことは、よく知らなかった。

 

外来が終わって、また上長に連絡をして、正直時間を持て余し始めたので、年内に出勤しようかとても迷ったけれど、出勤しても3日くらいで仕事納めになるので、やっぱり当初の予定どおり、年明けから出勤する連絡をした。

世の中はクリスマスだったり、正月だったりで、とても慌ただしかったけれど、色々なことが前倒しにできたし、身体を労わって、しんどいことはやらなかったし、やりたいこともできていた。

唯一、なんだか、鼠径部というか、身体に違和感があって、実は、全然違うところに転移していたらどうしよう、という気持ちになって、そういえば婦人科検診をしたいと思っていたことを思い出したので、気になることは全部2018年に置いていこうと思って、年末でも診察してくれる病院を探して、ぎりぎり年内で滑り込んだ。

乳がん忘備録【37】

荷物をまとめて看護師さんたちにも挨拶をして、1階に降りた。

日曜日のロビーは、この病院に初めて来たときのように誰もいなくて、静まり返っていたけれど、もう勝手知ったる場所なので、いつもと違う様相が面白いと思った。

土日用の窓口で会計をお願いして、差額ベッド代を入れても、思ったより安く済んだので、本当に限度額認定証はありがたいと思った。

家までの帰路は、ご褒美として、タクシーを使うと決めていたので、休みの日でも病院の前で止まっていたタクシーに姉と乗り込んだ。

 

退院したら、発売したばかりのゲームをやると決めていたので、途中電気屋さんに寄ってゲームを買った。

昔はよくゲームをやっていたけれど、いつの間にかあまりやらなくなっていたので、久しぶりの感覚にワクワクした。家に到着して、家族に挨拶して、さっそくゲーム機を立ち上げて遊んだ。

 

 次の日になって、上長に手術が無事に終わったことを連絡した。

次の外来は約1週間後で、ひとまずそれまでお休みをもらうことにした。

長い休みは久しぶりで、最初はゲーム三昧かなと思ったけれど、手術を終わったばかりで、とてもやる気に満ち溢れていたので、目標設定の業務改善施策を色々試そうと、スクリプトの勉強をしたりした。なんだかうまくいきそうな気がしたので、出社が楽しみになった。

業務改善を色々やれば、きっと、後輩の子たちも喜んでくれるかなと思った。無駄に休んでいたつもりはないので、とか言って、かっこつけようと思った。

 

だから私は、手術は終わったばかりで、一番こわいことはもう終わっていて、やる気に満ち溢れていて、出社が楽しみで、これからなんだか、何もかも、うまくいきそうだとワクワクして、とても明るい気持ちだった。

今までのことは、全然、たいしたことじゃなくて、終わりじゃなくて始まりで、自分にとって、地獄の入り口に立っただけで、やっと、スタートを切っただけだったということに、全然、気づきもしてなかった。

乳がん忘備録【36】

退院日になった。

退院日はちょうど、日曜日だったので、主治医の先生も、入院時の担当の先生も、挨拶ができないからと、前日のうちに会いに来てくれた。

姉が迎えに来てくれるというので、それまでにベッドの片付けをした。

テレビは、テレビカードを入れて見るタイプのものだったけれど、結構残り時間がある状態だったので、挨拶がてら、入院中ずっとよくしてくれた女性に渡しに行こうと思って、会いに行った。

女性は退院日が少し伸びたらしく、他の人からも、テレビカードを貰ったようで、やっぱりいい人なんだろうなと思った。私も渡したけれど、迷惑になってないといいなと思った。

 

「お元気で」

 

別れ際に、女性にそう言われて、この言葉は、こんなにも、意味のある言葉だったんだと思った。

私は、ええ、もちろんです、と言って、現に、私は手術が終わって、退院することができて、この世の春みたいに気持ちが元気だったので、私もお元気でいてください、と言った。

きっとまた会えますよね?と聞いて、その人は、地方から来ていて、しばらくしたら地元に戻ってしまうけれど、ここには通院するから、またきっと、会えると言った。

名前も、連絡先も聞かれなかったし、聞かなかったけれど、それはきっと、自分たちは大人で、自然とそうしないほうが、いいと思っているからなんだろうなと、思った。

私は、その女性に、不安でいっぱいだった手術の前日に、話しかけてくれたことに、改めて感謝の言葉を伝えた。

乳がん忘備録【35】

転移の有無や、術後の経過によって、入院期間は変わるという話は聞いていて、私は一番なんともなかった場合のコースになったので、入院・手術・退院まで5日間というちょっと慌ただしい感じになった。

でも、点滴も尿管も外してもらえて、普通にご飯も食べていたし、胸と右手に違和感がある以外は、もうすっかりいつもどおりになっていた。

 

入院4日目の朝は、なんだか気分がよくて、ちょっとフロアを探検しに行こうかなと廊下に出た。

そうしたら、白衣を着た集団が、ゾロゾロと列をなして歩いてくるのが見えて、思わず足を止めた。ドラマで見たことあるやつだ、と思った。

どう考えても、こちらに向かってくるので、慌てて部屋に引っ込んでベッドに入ったら、白衣の集団が部屋に入ってきて、たぶんその中で一番偉いと思われる先頭にいた先生が、どうですか?と聞いてきたので、お陰さまで元気ですと答えた。

よく見ると、その先生たちの中に主治医の先生もいて、ちょっとだけほっとした。

じゃあ術部を確認させてくださいね、と言われて、全員で傷跡を確認していたので、なんか面白いなと思った。

 

お昼過ぎになって、昨日、自主リハビリを明日もやろうと、知り合いになった女性2人と話していたので、前日と同じ時間、同じ場所で合流してリハビリをした。

2人とも、昨日より元気になっていて、よかったと思った。

 

またしばらくお喋りしたあと解散になって、部屋への帰り道2人で喋って、自分がパニック障害の気がある話をすると、とても同調してくれて、談話室で話さない?と誘ってくれた。

自分自身も大変なときに、親身に話を聞いてくれたり、話してくれたりできる人は、すごいと思った。

 

夜、夜中に目が覚めて、トイレに行くと、消灯後のフロアはとても静かで、少しだけ怖かった。めったにない機会だと思って、こっそり病室を抜け出して電話OKエリアのほうに行ってみた。

窓を見ると、ガラスが曇っていたので、そういえば病院の中は、パジャマ姿だけでも、どこにいても快適な気温に保たれているなと思った。

外は暗くて、でも、最近移転やら何やらで騒がしくなっていた跡地が上から丸見えで、中はこんなふうになっているんだ、と思った。

乳がん忘備録【34】

やっと朝になって、看護師さんが来た。

昨日手術に迎えに来た看護師さんとも違う人で、看護師さんは私のエコバックを見ると、一目で、私が応援してるグループ名の名前を言ったので、よく知っていますねと言うと、別のグループを応援している人だったので、親近感を持った。

 

今日は、事前のオリエンテーションで、朝から身体を動かすことを聞いていたので、看護師さんの手を借りてフロアを1周することになった。手からも下からも管が出ていて、落ち着かなかったけれど、いち、に、いち、に、と歩いた。

すっかり元気になってきたと、油断していたら、ベッドに戻るなり全身の血が下りてきた感じがして、吐き気を催してベッドに倒れた。

 

それから、リハビリ運動をすることになって、ヨロヨロとしながら移動した。

昨日知り合いになった女性2人がいたので、挨拶に行ったら、やっぱり手術後の2人も、私と同じようにヨロヨロしていて、声に元気がなかった。

昨日眠れました?と聞いたら、一睡もできなかった、と言ったので、やっぱり同じだと思った。

 

私たち以外にも、リハビリ運動に集まった人たちが何人もいて、全員が乳がん患者さんだった。

リハビリ運動は、両手を上げたりしなくてはいけなかったので、3人とも無理無理無理とか言いながら、なんとか上げられるところまで上げたけど、看護師さんに、痛いからといって身体をかばっていると身体が硬直してしまうので、普段から手を上げる練習をしてくださいと言われた。

それから退院後の生活の注意事項や、病院と提携している下着の話を聞いて、解散になった。

 

入院中がヒマだというのは、話に聞いていたけれど、さっそくやることがなくなって、ヒマになった。

姉から連絡が来て、今日も面会に来てくれるというので、家で使っている枕を持ってきてくれるよう頼んだ。私の枕は、前年に家具屋さんで買ったセミオーダーメイドの枕なので、これで今日の夜は少しは快適に眠れるかなと思った。

乳がん忘備録【33】

ベッドの上から動けない状態は、けっこうしんどかった。

左手の甲には、看護師さんや先生たちが格闘して入れた点滴の針がガッチリ刺さっているし、トイレに行かなくてもいいように尿管が入れられているので、どこか座りがよくなかった。

あと、枕の代わりに、タオルを重ねたものが頭の下にひいてあって、私は枕の位置は高くないと眠れないので、それもよくなかった。看護師さんが定期的にやってきて、血圧を測ってくれていたけれど、血圧はよりによって、針の刺さっている左手で測っていたので、締め付けられると、手の甲に刺さった針が抜けそうになって、でも抜けたらいけないので、右手て押さえつけて測っていた。ちなみにめちゃくちゃ痛かった。

 

夜になっても眠れそうになくて、このときのために持ってきたタブレットで、漫画を読むことにした。何冊か読んで、ちょっと時間を潰せたけど、読みたいと思うものがあまりなくて、飽きてしまった。

次にラジオをつけて、何か面白いものはやっていないかなとチャンネルを回した。

お笑い芸人のコンビがパーソナリティを務めている番組が耳に入ってきて、特にその人たちが好きだというわけではないけれど、それを聞くことにした。

 

「今日、初めてこれを聞く、って人もいると思うんですけど」

 

ぼんやりと聞いていたら、そんな言葉が耳に入ってきて、自分のことを言われた気がして、急に嬉しくなった。そう思ったら、あまり興味を持たずに聞いていた話も、親近感が湧いてきて、うきうきした。

ご意見お待ちしています、という、ラジオではお馴染みのフレーズが妙に耳に残って、思わず携帯でラジオ番組にアクセスした。

人生で初めての手術の夜で、しんどくて眠れないときにラジオを聞いて、でも聞いているうちになんとなく元気をもらったので、感謝の気持ちを伝えようとメールを投稿した。何通かメールが読まれたので、読まれるかなとドキドキしたけれど、さすがにそこまでクジ運はよくなくて、そのまま番組は終わった。

結局、眠れないまま、時間だけがゆっくりと経過していったので、早く朝にならないかなと思いながら、携帯を見たり、ラジオを聞いたりして過ごした。